2015年12月22日火曜日

2015年の活動まとめ

毎年なんだかやってますが、今年も今年とて総括。
2014年のまとめはこちら。2013年のまとめへもそこから飛べます。

なんだかんだと今年は忙しく過ごしていました。
ブクログによると、書籍は今年一年で、352冊読んだようです(12/29現在)。
ただ、ブクログの本棚登録は、アマゾンがその商品を取り扱っているかどうかに依存しているので、もうちょっと多いかなと(古い絶版本や論文、珍しい洋書も読みました)。それから登録したのは、読了書籍のみなので、実数はもっとあるんじゃないかと思います。
映画・映像を加えると、442コンテンツだそうです(カウントしたのはDVD・Blu-ray化されたもの)。
今年は例年以上に読んだんじゃないかな。なお、漫画は除きます。


・閲覧数の伸びたブログ記事
大槻香奈個展「私を忘れないで。」についての、かなり長めの感想。

さすが、大槻さんの人気ぶりというか、どかんと閲覧数増えました。
こういうのは批評未満ですし、論としてかなりごまかしもあるのですが、ご本人はじめ、それなりに面白く読んでいただけたようでよかったです。

『後宮小説』と『ジェイン・エア』――二つの「適当」な主体
読書会で『後宮小説』扱ったときですね。全く人が来なかったので、代わりにネットに書いたのでした。


・プラグマティズム講座(全三回)
イベントスペースのGACCOH(京都・出町柳)さんにて、ワークショップを開催しました。
それぞれ、こういうタイトルです。
「哲学史のなかのプラグマティズム」(8月)
「鶴見俊輔とプラグマティズム」(9月)
「ジョン・デューイと原理主義とプラグマティズム」 (11月)



おかげさまで、こちらは盛況でした。
GACCOHのサイトが残っていないので、 関連するブログ記事へのリンクを貼っておきます。
→残ってました。リンクはこちら


・GACCOH小説読書会
直近から下っていくと、こんな感じ。
伊藤計劃『虐殺器官』×『ハーモニー』読書会(11月)
伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』読書会(10月)
酒見賢一『後宮小説』読書会(5月)
ミシェル・ウェルベック『素粒子』読書会(1月)

『素粒子』は映画も結構よかったです。内容はかなり違うんですけど。主人公も、もっとデブのキモい感じを想像してた。しかし、それはそれとして悪くないと思いました。

さておき、12月26日に、ミシェル・ウェルベック『服従』読書会を開催します!
→開催しました。

過去に扱った本はこちらをご覧ください。


・消費社会論勉強会
扱った本を挙げています。毎回テーマらしきものを設けて読むと、内容がリンクしてくるので、かなり面白いです。内容をまとめてくるので、他の参加者の読了は「推奨」。読まなくても参加できる勉強会です。開催場所はいずれもGACCOH。
第四回のテーマは東京でした。(2月)
北田暁大『増補 広告都市・東京:その誕生と死』
吉見俊哉『都市のドラマツルギー』
森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』
第五回のテーマは「食」。(3月)
厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか』
今柊二『ファミリーレストラン 「外食」の近現代史』
速水健朗『フード左翼とフード右翼』

番外編は、ショッピングモール散策オフ。(3月)
イオンモール桂川で、色々歩きつつ以下の二冊を読みました。
東浩紀・大山顕『ショッピングモールから考える』
速水健朗『都市と消費とディズニーの夢』

第六回は理論的な著作。(5月)
ブライマン『ディズニー化する社会』
セネット『不安な経済/漂流する個人』
第七回も、理論よりの良書を。(8月)
サンデル『それをお金で買いますか』
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
リッツァ『消費社会の魔術的体系』
第八回も引き続き、消費社会論の名著を。(10月)
見田宗介『現代社会の理論』
ショア『浪費するアメリカ人』

次回は2016年の2月を予定しています。



・クトゥルフ神話TRPG
今年から始めたんじゃないかな、と思います。
これが面白いのなんの。
気が付いたら……








動画投稿してました。
「夜は短し飲んでは歩け」は、初心者のソロプレイでも遊べる感じに構成。森見登美彦の小説をもとにした自作シナリオ。
「沈滞する水都」は、友人作のシナリオ。


・燻製
燻製、はじめました。
こちらも「ゆっくりいぶり暮らし」と題して動画を投稿し、大島さんの燻製漫画『いぶり暮らし』のステマしてます。
かなり編集ミスが多くて、正直消したい。

2015年12月12日土曜日

12/26、クリスマス読書会でウェルベック『服従』を読むよ、という話

以下はツイプラの転載です。
場所(京都の出町柳)の詳細や参加表明などについても、ツイプラをご覧ください。

パリも、アメリカも、テロで話題の昨今。必読の書を、キリスト教の聖夜にぶつけて読んじゃいましょうという企画です。そのあと、食事会・飲み会もあるよ。


 
12月26日クリスマス企画の読書会のお知らせです!!

ミシェル・ウェルベック『服従』(河出書房新社)の読書会をします!!


2022年フランスにイスラーム政権誕生。
シャルリー・エブドのテロ当日に発売された、
世界を揺るがす衝撃のベストセラー、日本上陸。

読み終わって、呆然としながら、自分にこう言い聞かせなければならなかった。

「これは小説であって現実ではないんだ」と。

「こんなことは起こらない‥‥たぶん‥いや、もしかしたら」

──高橋源一郎(作家)



シニカルな状況認識、政治的な無力感、そして人間の滑稽さに対する冷め切った視線。

ウエルベックはヨーロッパの未来も若者の力もなにも信じていない。

けれど、その残酷さこそが文学の力なのだ。

 日本にはこんな作家はいない。
読むべし! 

──東 浩紀(批評家)



「彼も新政府内閣総理大臣なんじゃないか?」

ウエルベックは僕が今、そう感じちゃう唯一の生きる作家だ。

愉快な転覆を。

──坂口恭平(新政府内閣総理大臣)

 


近未来のフランスが舞台のはずが、読み終えると現代日本の話に思えてくる。


いま、首相も国会も民主主義も信用できない人、必読。


 ──市川真人(批評家)

 

(以上アマゾンの商品説明欄より)


場所は、イベントスペースのGACCOH(京都は出町柳にて)。
※読書会に関する場所代として参加費500円をいただきます

『服従』の書評など
池澤夏樹「今週の本棚」(毎日新聞)
浅田彰「パリのテロとウェルベックの『服従』」(REALKYOTO)



なお、読書会後に、食事会というかパーティを予定しています!
(※こちらは別途、実費を頭数で割る予定です。燻製もするよー)

その準備もあって、今回の読書会の開始は15時からです。

読書会のみ、パーティのみの参加も歓迎です!!!
なお、パーティでは、「本のプレゼント交換」も予定しているので、「自分も交換したい!」という参加者の方は、家からおすすめの一冊を持ってくる、適当な一冊を購入するなどしていただけると嬉しいです。

読書会およびパーティの参加表明は、ツイプラにお願いしますー
(ツイッターもっていない方は、GACCOHサイトよりお問い合わせください)

2015年12月5日土曜日

結月ゆかりコンピ「ゆめばかり」より、くらげP「シーベッドタウン」の長めの感想



・帰ってきたボカロ好き、ゆかりコンピを聴く



きゃらあいさんのイラスト。かわいい(かわいい)
2015年春先に開催された関西ボーパラに参加する友人に、ゆかりさんのコンピCDを買っておいてほしいと頼んだのは遠い昔のこと。

数ヵ月を経た最近、ようやく受け取ることができ、今、こうして聴いているわけです。

引っ越しや「入院」を経て、音楽との接し方自体が変わる中で、しばらくボカロ自体から離れていました。

最近はぽわぽわPの昔買った音源とか、keenoさんの新しいアルバムとかをぽつぽつ聴き始めていたので、ゆかりコンピに入るのには、いいタイミングだったのかもしれません。


前置きはこれくらいにして。問題のゆかりコンピはこちら!!



ボカロから数年離れた立場にもかかわらず、結構気に入ったので、簡単にレビューしてみます。
VocaDBでの、このコンピの情報はこちら

・全体について

結論から言えば、ものすごくいいコンピでした。
特に、くらげP、さたなさん、翁さんの曲が好みです。

今や「ボカロ好き(自称)」がお似合いの形容詞である私ですが、このコンピに収められている曲は、漠然とではあるけれど、「ゆかりさんっぽい」感じがします。
ミクやルカ、グミではなくゆかりさんが歌う曲だろうなという感じがします。

個人的に衝撃だったのは、名前がわかる(覚えている)ボカロPが二人しかいないことですね……。
面識があって昔から聴いていた翁さん、それから冒頭の曲を作っているくらげP、このお二人だけです。
(結月ゆかりは前から大好きなのですが、くらげPは、自分の中の「ゆかりさんイメージ」を作っている中心的な要因かな、と思います。)

それから、きゃらあいさん!! ジャケットも抜群によかったんですけど、予想以上にグッと来たのは歌詞カードですね。
曲ごとのキャラクターのかわいさとかは言うまでもないと思うんですけど、歌詞カードには、見開きごとのメインカラーが曲とすごく合っている。それが地味にいい。
個人的には、くらげPの「シーベッドタウン」のページの絵が好きです。

※CDの曲順に不備があるそうなので、一応、その件に関する詳細のリンクを貼っておきます。 → こちら


(以下では、一曲一曲簡単に感想を言おう……などと思っていたのですが、気づけば「シーベッドタウン」論みたいになってしまいました。深夜書いているのであしからず。。。)


・「シーベッドタウン/くらげP」

 安心して聞けるさわやかな冒頭曲。

歌詞は全体を通してさみしい印象がある。
ちょっと補いつつ、言い換えるとこういう心象を歌った曲です。

〈若さもあって、目の前の世界で手一杯なのに、その「手一杯の世界」が持っているはずの確からしさが感じられない。
世界の確からしさが感じられないなら、もちろん、そこに生きている自分の確からしさも失われているように思える。
自分の立ち居振る舞いもどこか「嘘」くさくて、苦しい。
周囲の人間に嫌われないように、ただそれだけ考えていると、全部「嘘」で出来上がっているような気すらする。〉

・匿名的逃走としての「夜」

この曲には、いくつか上に書いたような心象から逸脱している箇所があります。
そのどれもが、「夜」、あるいは、それと結び付いた「青」へと「逃走」しているシーンです。

 「嘘」で塗り固めた「朝」から遠く離れている「夜」は、同時に、その暗さ、つまり、「青さ」でもって、全てを覆い隠すものだ、と位置付けられています。
夜の青さに、自分自身が塗りつぶされることが、日常という「嘘の世界」を忘れさせる。平たく言えば、真っ暗な夜は、日の当たる世界から遠いので、私の救いになっているということでしょう。

  「夜明け前が一番暗い」とか、「明けない夜はないんだよ」とか、「夜」はつらさのモチーフになることが多いので、その意味ではやや興味深いと言えなくはないのかもしれません。

夜のブルー ねぇ、ブルー
灯りは泡になって
空へ落ちていく
どこでもない場所に変わる

日常を思わせる光を遠ざけ、匿名的にすべてを染めてしまう「夜」。
普段の文脈から切り離されることの心地よさが印象的なのは、バブリーに鳴り続けるオブリガートの電子音のおかげでしょうか。


・他者と出会う時間としての「夜」

匿名性というのは、ちょっといかにもありそうな「夜」の特徴なのですが、この曲では夜にいくつかの興味深い解釈が与えられています。

あなたの手を取って、夜に溺れてく
そうしたら、簡単に
世界が変わった

ユートピアとしての「夜」は、ありふれた空想的逃避でないようです。
というのも、この一節を見る限りでは、「夜」が「あなた」という他者との界面になっているようですね(J-POPによくある唐突な「あなた」が出てきているだけだと言えばそれまでですけどねー)。


・時間の周期性による、「夜」と「朝」の重ね合わせ

もう一つ興味深い特徴が「夜」に帰されています(これも、当たり前と言えば、当たり前の話なのですが)。

先に、「明けない夜はない」という慣用句を挙げておきました。
この言葉への対抗的なレトリックとして、「暮れない昼もないんだよ」というものをしばしば耳にします。
「夜はつらいけど、もう少し時間が経つのを待てば、朝(希望・出口)があるんだよ」 という呼びかけに対して、「逆に言えば、また時間が経てば、夜(苦痛)がやってくるってことだよね」と答えるわけです。
この曲でも似た件があります。

青に染まってそれでも、夜は明けてく
嘘だらけの朝がまた来てしまう

夜に苦しみ朝に救いを求める人にも平等に、夜がまたやってくるのと同じように、夜に救いを求める「私」にも朝は平等にやってくる。
苦しみとしての朝は、反復する。繰り返しやってくる。
当然といや、当然の認識ですね。

こんなにも簡単に世界は元に戻る
(中略)
それでもいいんだ
きっと、また会えるから
明日もまた夜が来る

逆に言えば、救いとしての夜も、反復的にやってくる。
朝の周期性が苦しみを定期的にもたらすとしても、夜の周期性は定期的に「自由」をもたらしてくれる。

朝と夜のどちらかを拒絶するのでもなく、好きではない方ともそれなりに折り合いをつけながら、好きな方は心底楽しむことで、両方ともを引き受けつつ前向きにやる。

自己啓発っぽいといえば、そうに違いないのでしょうが、そうでしかありえない認識のような気がします。


コップに半分の水を「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うかで人生は変わる、という話がよくありますよね。前者はペシミスト、後者はオプティミスト、みたいな話。
この曲で表現されている認識は、これとは少し違うような気がします。

もうこの世界はどうしようもないくらい嘘っぱちで、だから、私もどうしようもなくて、なんていうか、朝なんて大嫌いだけど、この朝をやりすごせば、いつもの夜がやってくるんだ――みたいな感覚だと思います。
悲観と楽観のどちらかを採用しているのではなく、絶望と希望のどちらかだけを受け取っているのでもない。 両方が一挙に存在していて、両方を同時に受け取っているように思えます。

同じことが夜についても言えます。

「夜は嘘をつかない」し、青に染め上げることで「私」を自由にしてくれる。「あなた」と出会うための時間でもある。 しかし、同時に、夜は朝を準備している。少し時間が経てば、大嫌いな朝がやってくる。夜が楽しければ楽しいほど、朝の接近で苦しく思うことでしょう。



Never let me goに言及しつつ、カズオ・イシグロがこういう趣旨のことを言っていました。
「自分には無限の可能性がある」という感覚と、「自分はもう何者にもなれない」という感覚とが同時に到来するとどうなるか、それを考えて書いたんだ、と。

そんな感じで、朝と夜とが、苦しみと救いとが、悲観と楽観とが、同時に存在し続けている曲だな、とか思ったわけです。
……アッハイ、わりとどうでもいいですよね。



だからといって、なんだというほどのことではないのですが、論文とか中間発表とかを控えてまじめなことばかりやっていると、時々、こういうとりとめもないことを考えたくなるみたいです。



以上の内容を一言で言えば、こうです。

夜の取り扱いが面白い曲だな、と思いました。