2015年4月24日金曜日

庭園ノーム解放戦線という悪ノリ

庭園ノーム解放戦線(Garden Gnome Liberation Front)というのが数年前イギリスで短期間、流行ったらしい。ノームっていうのは、写真のような庭に置いてある(大体は陶器製の)人形ですね。
ノームを庭に縛り付けている《残虐な人間たち》を向こうに回して、彼らを誘拐し、ノームへの権利意識を高めよう、解放しようという運動……というか悪ふざけです。


ノーム解放運動を取り上げたネットニュース(動画)↓
・The Gnome Liberation Front Liberated A Garden Gnome From A Boulder Couple’s Yard http://uproxx.it/1DsaLR7 @UPROXXさんから



批評家のテリー・イーグルトンは、奇抜なユーモアを好む英国人の傾向に触れたあと、「ノーム解放戦線」をこう紹介しています。
「庭の飾りになっているノーム像を庭から運び去り、そののち持ち主に返すのだが、そのときキャンディーを身代金代わりに要求するのである。所有者がこの脅しに屈しないと、誘拐されたノームの首なし像が小口の前にころがることになるのだが、そのとき、ご丁寧にノームの、東武が切り取られた首周りに、不気味にも赤い塗料が塗られているのである。」
『アメリカ的、イギリス的』(原題はAcross the Pond)。


面白いエッセイのなかでも、とりわけ変な話だったので印象に残りました。
こういう悪ふざけいいですよねー

Garden Gnome Liberation Front http://en.m.wikipedia.org/wi…/Garden_Gnome_Liberation_Front


ちなみに、近々、消費社会論勉強会の第六回があります。今回は14時から。5月10日です。

2015年4月16日木曜日

木村草太さんの記事を読んだ(「文民統制と文官統制」)

文民統制に文官統制。
最近話題の事柄で、中学校のとき、響きがかっこよくてやたら連呼した「シビリアンコントロール」ですが、気鋭の憲法学者・木村草太さんの解説はわかりやすく、しかも冷静な説得力がありました。

***


「なぜ憲法は、文民統制を定めているのだろうか。
一般的な行政事務と比較して、軍隊や自衛隊のような実力組織の業務は、特殊かつ専門性が高い。命を懸けた作戦に参加することもあって、組織の中に強い絆も生まれる。このため、実力組織の内部には、独自のルールや価値観が生まれる傾向がある。

ところで、軍隊や自衛隊のトップに「文民」を置いたとしても、実際に「文民」が軍隊や自衛隊を統制することはかなり難しい。これは、自衛隊の人たちが、文民の指示をまもらない、愚かな人物だからではない。むしろ、その逆だから、文民統制は難しいのである。

 しかし、自衛隊の運用は、外交関係、政府の予算、国民生活に大きな影響を与える。文官統制をやめることで諸外国に不信感を与えないか、「文官」の補佐がなくても「文民」が適切な判断をできるのか、意思決定の合理性を十分に国民に説明できるのか、憲法が文民統制を定めた趣旨に照らし、慎重に検討すべきであろう。国民は、政府の説明に注意深く耳を傾けていかねばならない。」


<防衛省設置法で議論に> 憲法から見た「文民統制」と「文官統制」 首都大学東京准教授・木村草太 | THE PAGE

ブログ記事というよりは、記事の紹介、まさに「シェア」みたいな内容ですが、FBからの転載だから仕方ないね。

オーストラリア出身の歴史家が体験した東日本大震災

最近、FBなどからのブログへの転載で記事の数を水増ししている気がします。

「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 (ハフィントン・ポスト)
「オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。
2月下旬、澄み切った快晴の日。多賀城市にあるJ・F・モリスさんの自宅を訪ねた。
 「私は地元のガイジン。あるいは土着性の強い外国人です」と茶目っ気たっぷりに自らを語るモリスさんは、1974年に留学生として来日。東北大学で博士号を取得し、仙台出身の女性と結婚し、現在は宮城学院女子大学教授として、日本の歴史を研究しながらこの地に拠点を構えている。
「東北大で博士号を取って、宮城学院に就職して、女房は仙台生まれ。ここで子育てをして、子供はインターナショナルスクールには行かせずに、地元の保育所、地元の小学校。普通の日本人として育ててね。自慢じゃないんですが、ほぼ完璧なモノリンガル(日本語のみ)。共働きで、家に帰ってくると子供が『お腹すいたー』って。バイリンガルとか悠長なことはやってられません。普通の親と同じですよ」。
被災者として、外国人として、歴史家として、どう震災に向き合ってきたのか。東日本大震災について聞いた。」


こんな感じで始まります。すごくいいインタビューだった。引用したい箇所が沢山ある。
オーストラリア生まれで、日本人研究者と結婚した歴史学者が、被災について語っています。
あまり言葉の訂正・整理されないままの、いかにも生っぽいインタビューですが、その雰囲気が今回はとてもいい働きしてます。


「――地域との結びつきがあれば、正しい行動をする? 
そんな単純なものじゃない。仙台では留学生が小さな地元の町内会の避難所に密集したとか。中国人研修生が30人いるところで夜通し泣いてたから迷惑だと。そういうことが起こった時に対処する能力があるかどうかです。中国人研修生の場合は、避難所として指定された場所に、中国からの物資が入って、研修生たちだけで食べきれないので、近くの人たちに配った。そこで、「悪い人たち」が「良き人たち」に転換した。 
――ほんのちょっとの…… 
ほんのちょっとだけの差なんですよ。私自身、地元の人から「外人だ!」とか「どこから来たんだ?」って言われたことは一度もない。津波の後も、道ですれ違ったら、「ご無事でしたか」。それだけ。「お互い、無事でえがったね」って。
もしあなたが被災地にいれば、あなたは被災者。被災者とそうでない人しかいないんです。外人・日本人という差異は外から持ち込まれたものです。」

ドイツのとあるジャーナリストに対する日本政府からの批判について

安倍晋三政権の批判記事を書いたら…ドイツ紙記者ガーミス氏が暴露

三行で説明すれば……
・ドイツ紙記者ガーミス氏が安倍政権に激高しているとゲンダイが報じた
・批判記事を書いた際、外務省から本国の本社に圧力をかけてきたという
・2014年から「攻撃」は激しくなり、記事を書くたびに呼び出しを受けたとも


ありえん。
某首相は美しい国って連呼してたけど、この国の美徳はこうして損なわれるんとちゃうんかな。。。
とりあえず、少し引用しておきます。
こういうことって、どれだけリアクションをしておいたかということ自体が重要ではないかと思うので。
ネトウヨの大好きな「偏向報道」じゃないですけど、テレビも自分が攻撃対象になりたくないからか、こういう話題もあまりとりあげませんよね。
「民主党の安住さんが批判の声明を出した」と他人の批判を紹介するのが関の山。どうにかならんものか……
さてはて、記事からの引用でした。
「批判記事を書こうものなら、外務省を使って、本国の本社に直接“圧力”をかけるという行動にも出ている。
 ガーミス氏が安倍政権の歴史修正主義について、批判的な記事を書いた時のことだ。在フランクフルトの日本総領事が、ドイツにある編集部に乗り込んできて猛抗議したという。
 対応した編集者に向かって「(あの男は)金が絡んでいると疑わざるを得ない」と信じられない暴言を吐いた上、安倍批判の記事を書くのは中国へのビザ申請を承認してもらうためではないか、と妄想としか思われない見解を示したという。」

【参考】
ドイツのあるジャーナリストの日本論 (内田樹の研究室)
この件の経緯について詳しく当事者が書いた記事の翻訳です。
ここに詳しく書いてあるので、参考になる箇所を引用しておきます。できれば全部読んで欲しいですが(その甲斐はある内容でした)。
「私の日本での仕事が始まった頃、事情は今とはまったく違っていた。2010年、私の赴任時点で政権党は民主党だった。(中略)
例えば、海外ジャーナリストは頻繁に意見交換のために岡田克也副総理に招待された。首相官邸では毎週ミーティングが開かれ、当局者は程度の差はあれ直面する問題について私たちと議論することを歓迎していた。問題によっては私たちは政府の立場をきびしく批判することをためらわなかった。しかし、当局者たちは彼らの立場をなんとか理解させようと努力を続けた。
反動は2012年12月の選挙直後から始まった。新しい首相はフェイスブックのような新しいメディアにはご執心だったが、行政府はいかなるかたちでも公開性に対する好尚を示さなかった。財務大臣麻生太郎は海外ジャーナリストとはついに一度も話し合おうとしなかったし、巨大な財政赤字についての質問にも答えようとしなかった。
海外特派員たちが官僚から聴きたいと思っていた論点はいくつもあった。エネルギー政策、アベノミクスのリスク、改憲、若者への機会提供、地方の過疎化などなど。しかし、これらの問いについて海外メディアの取材を快く受けてくれた政府代表者はほとんど一人もいなかった。そして誰であれ首相の提唱する新しい構想を批判するものは「反日」(Japan basher)と呼ばれた。」

2015年4月15日水曜日

Mini Metroというゲームが、かわいくておもしろい

Mini Metroというゲームにハマっていました。
http://dinopoloclub.com/minimetro/
全体的にきれいなデザインで、かわいいです。



太字の記号が「駅」で、黒塗りの記号が人(行きたい駅を示す)、カラフルなラインが路線です。
不満が募って破綻しないよう、駅と駅とを「あーでもないこーでもない」と繋ぎ、路線を作っては繋ぎ直すだけのゲームです。
駅が予期せぬ所にぽこぽこ出てくるので、なかなかやり甲斐があります(雨後の竹の子といった感じです)。
きれいな路線図を作るもよし、とにかく「輸送」に徹するもよし、プレイスタイルも地味に十人十色だろうなと思います。


unityをインストールしてさえいれば遊べます。有料版も出ているようで、Steamで買えるそうです。
いつも不思議なゲームを不思議に実況している「ポリエチレンベンゼン」さんのMini Metroシリーズを見て、気づけば2時間くらいやっていました。
なかなかどうして面白い


【参考】
ポリエチレンベンゼンさんのゆっくり実況プレイ「Mini Metro 車両点検所」

地下鉄のラインをつなげて乗客をスムーズに乗降させるゲーム「Mini Metro」 - GIGAZINE

地下鉄線路をデザインするゲーム「Mini Metro」

ミニ地下鉄シミュレーション Mini Metro - フラシュ - 無料フラッシュゲーム 

「戦争の不安について - 村上さんのところ」がちょっとおもしろかった。

 最近、イラク戦争、アフガニスタンでの戦争のことを思い返すことが多い。当時、「マッチョな怒号でかき消される」声のことを思いながら、森達也ばかり読んでいた覚えがあります。引用するような「怒号」とは種類が違うにしろ、去年末からのIS人質事件のように、荒唐無稽で直情的なアイデアが主流になることはこの社会によくあることだな、とは思います。
 ちょうど昨日、森達也の話をしたこともあるのですが、感情や直感の瞬発力とは別のところでじっくりと考える人でありたいと思います。大衆のひとりでしかないからこそ、できるだけ簡単に頭を他人に預けない努力をしたいとは思う。まぁ、そんな感じで、この村上春樹の回答を面白く読んだよーという話でした。
 なんていうか、戦争って、1945年以前の話じゃなくて、ほんの10年前にすら、嫌というほどみた景色だという事実を、改めて確認してもいいのかな、と。

≪僕がアメリカに住んでいるとき、ちょうどアメリカはいくつかの戦争に巻き込まれていました。湾岸戦争、アフガニスタンでの戦争、イラク戦争。そういうのを間近に見ていて思ったのは、いったん戦争に巻き込まれると、人はみんな多かれ少なかれ頭がおかしくなるんだ、ということでした。普段ならわかるはずのことが、わからなくなってしまう。
 とくにイラク戦争のときはひどかった。フランス政府はアメリカ軍の根拠不十分で一方的なイラク侵攻に疑義を呈したんだけど(ごく当然な疑義でした。実際に根拠はなかったのだから)、そのときのアメリカに蔓延した反仏感情はほとんど理不尽なものでした。一流新聞までもが「我々は第二次大戦でフランスをドイツ軍から解放しなければよかったんだ」みたいな下品きわまりない記事を載せました。普段のアメリカからすれば、ちょっとあり得ない暴言です。
 でもそんなことが実際に起こってしまう。「ちょっと待てよ。そこまでやるのはまずいよ」というまっとうな声が、マッチョな怒号の中にかき消されてしまいます。≫

ドラマ「Utopia―ユートピア―」

イギリスドラマのユートピアのワンクール目みていた。huluで配信していたこともあって、なんとなく。

東欧アニメ的なゾッとするタッチの絵でかかれた、謎の漫画を巡って展開するストーリー。カルト的な人気を持っている、その『ユートピア』の、存在しないはずの続編を読みたがった人たちが非日常的な陰謀に巻き込まれていく。
……みたいな話ですね。


(もっといいあらすじ紹介があったので引用します→引用元
イギリスのドラマ、UTOPIA-ユートピア-がHuluで配信開始してたので見てみたんだけど面白かった。すげー先が気になってしまうつくりになっています。カルト的人気漫画の「The Utopia Experiment」の続編を手にいれた若者が「The Network」っていう闇の組織に追われ追い込まれていくんですが、その漫画の存在を知る人物たちが次々その事件に巻き込まれていって、なぜ自分たちが追跡され苦しめられるのか分からずにいるところ、「The Utopia Experiment」の作者の娘である女性が目の前に現れた所で第1話が終わります。
(Wikipediaもまだ日本語はないようです。欧米系の言語と韓国語はありました。参考までに挙げておきます。


色彩が料理みたいに露骨に際立っていて不思議な画面。ずっとそういう画面で物語が進んでいくので、なんとなしに「ノッていく」感じはある。(実際は、もっとわかりやすくコントラストがあるのだけど、例として拾った画像を貼っておきますね↓)




普通の人が巻き込まれる、のかと思ったけど普通の人、むしろ少なかった。「普通の人が巻き込まれる」ということは、リアリティの調達手法として、今回はそれほど効果を持っていないと思う。

設定や筋自体は目立ったものはないけど、子供二人を主役格に取り込んだのは面白かった。捏造によって世界が敵に回る、味方が敵になり、誰を信じていいのかわからない……というポジションに、男でも女でもなく、母子家庭のグレた子供を置いて、救いの手を差し出す役を好奇心の強い別の子供にしたのがよかった。この一点だけでも見る甲斐はあるのかもしれない。

それ以外は「こいつ実はスパイ」「いや、スパイのスパイ」「こいつ実は味方」「味方と思ったけど心揺れて敵にまわりそうになる」……式のサプライズだけで物語がすすむので、視聴経験と切り離して物語を見れば、単調といや単調。見せ方とか見せる順番がうまいのかな。

アンダーザドームみたいにそれっぽい謎や要素、エピソードを適当にポンポン放り込んで、全然互いに絡み合わない……というのは最悪だけど、ユートピアはうまく話が全体で明かされるせいで、話に特別な印象はない。見通した印象より第一話の感じの方が強い気がする。

デイヴィッド・フィンチャーがアメリカ版として、リメイクすることになっているとかいうドラマについてのざっくりした感想でした。