2013年7月23日火曜日

青木俊直『ずんだ』――他者の痕跡に囲まれていること/ずんだ餅・東北ずん子・あまちゃん絵



ずんだ餅と東北ずん子


\(ず・ω・だ)/
ずんだ餅っていうものがあるらしいですね。ぶっちゃけ、東北ずん子で知ったクチです。そんな東北ずん子がボカロ化され、小説も出版されるので、今回の記事を書くことにしましたー

関連ページたち↓

東北ずん子 公式サイト
東北ずん子 公式Twitter
版権フリーキャラクター東北ずん子、ボイスロイドの開発に着手 - ねとらぼ(2012,5/16)
・東北応援キャラクター 東北ずん子のTwitter小説がノベル化 - 今夏発売予定  - マイナビニュース(2013,4/15)
東北ずん子が歌います ボカロ化決定、クラウドファンディングで500万円集める - ねとらぼ(2013,7/16)

ずん子は「ずんだアロー」という謎武器を持っていたり、秋葉原にずんだカフェをオープンするという謎夢を持っているんです。
まぁ、名前自体から、「ずんだ餅」感出てますけどねw

経産省補助事業であるCREATIVE MARKET TOKYO 2011では審査員特別賞を受賞したり、東北6県に本社を登記している会社は利用が簡単だったりと、東北ずん子が作られた時期を踏まえてみると、なんか思う所がありますよね、やっぱり。
中の人を『氷菓』のちたんだや、フェアリーテイルのウェンディ、けいおんのりっちゃんで有名な佐藤聡美さん。宮城県の出身だそうな。


青木俊直


青木俊直さん、漫画家でイラストレーター、アニメーター。
聴いたことあるでしょうか? 最近だとあまちゃんの絵(きょうのあまちゃん)で有名でしょうか。


あんまり知られてませんが、奥さんは、あの谷川史子さんなんですよね。
漫画好き的には衝撃! ……でもないか



あまちゃん絵の拡散で、急激にフォロワーさんが増えている印象なのですが(失礼ながら漫画家としては、決して有名な方でないと言っていい思います)、どんどん認知されているように思います。
正確に数えるのも面倒だし、検証もしてませんが、Amazonのレビュー数も「あまちゃん」の以前から比べて増えた気がします。
絵の拡散でフォロワーさんがどかっと増えた人で言うと、同じく漫画家でイラストレーターの出水ぽすかさん。毎日のように絵をアップロードして、「気に入ったら拡散してください」(大意)と言っているイメージ。


『ずんだ』――簡単な筋の向こう



さて、話題の『ずんだ』ですが、Kindleにて100円で購入出来ます。
もとは2011年の10月に発行された同人誌だったようですね。本文はたった16ページ。


物語の筋も、簡単に要約できてしまいます。

「レズビアンのカップルが、ずんだ餅を作って、食べる」

――ただそれだけです。

ただそれだけなのに、掛け値なしに面白いんです。
ずるい作品です。グッとこないわけがない。
過剰な言葉もないし、あざといわけでもないのに、仕草も会話も全部迫るものがあります。


読了直後の感想はこういうものでした。この直観は正しかったと思います。
(字数制限のせいで、言葉遣い変ですがw)


「私たちは、誰かの生きていた痕跡に取り囲まれている」


伊藤計劃の『メタルギアソリッド』のノベライズを持ちだしてもいいのですが、ごく日常的な感覚の延長で考えてもらってもわかることだと思います。

例えば。
私はカフェが好きで(京都はカフェ天国です)、財布に余裕があればカフェに行きます。
その時、「スマートコーヒーがよかったよ」って友達に教えてもらったとします。(スマートコーヒーは、カフェというより喫茶店と言うべきかもしれませんが)
すると、友達が実際にそこで、ちょっと酸味の強いコーヒーを飲んで、ふっかふかの名物ホットケーキを食べたという経験・物語・文脈=痕跡を受けて、私は(誰かと)そこに訪れるわけです。

訪れたその場所そのもの、飲んだコーヒー、食べたホットケーキにも、私の知らない物語や痕跡が多くあるんだろうと思います。
コーヒーが私の口に入るまでの物語を想像するだけでも、色々考えられそうです。→参考1参考2
そして、私にすすめてくれた友達も、こういう風に「誰か」の経験や痕跡の上で、その店を訪れたのでしょう。
あずかり知らない所で、私の他の友達や、親の知り合いが訪れたこともあったかもしれません。


幸せそうなリア充感あるエッセイみたいなことを書いてしまったわけですがw
とはいえ、これは真実だとも思うんです。

例えば、私の父方の祖母は物心ついた頃には亡くなっていて、もうほとんど覚えていないのですが、親類はよってたかって、「おばあちゃんによぉ似とるわ」って言うんです。折にふれて、飽きるくらい。浴びるくらい。
他には、母親からほとんど料理は教わっていませんが、なぜかほうれん草のバター炒めを教えてもらったこと(小学校低学年くらいだったかな)だけ、やけに覚えていたりします。カレーとか、他にも色々あるんでしょうけど、変にはっきりと。
中学校時代には、「たにやんには、注意されても嫌な気せんわ。なんでやろな、指摘してくれてありがとう」って塾の先生に言われたことを覚えています。地域で多少勉強のできる子供の一人でしかない私は驕っていたのにもかかわらずw 10代にありがちですねw

こんな風な「他者の痕跡」もあると思います。他者が、生きているかどうか、大人かどうか、人間かどうか、現実かどうかなんて多分どうでもいい。
とにもかくにも、生きることは、他者の痕跡の上で生きているということなのかもしれない。


まぁ、そんなことを考えたりしました。
直接には『ずんだ』の中では、亡くなった家族のことなのですが。
要するに、ずんだ餅を作ること、食べることの中に、家族の痕跡がある。


普通は、他者の「痕跡」とすら気付かないことが多いけど。
他人に迷惑かけたり、世話になって初めて、「あっ、そういえば自分は他者に支えられてるんだ」って気付かされることが多いですよね。多分、インティメイトストレンジャーじゃないですけど、知りもしない他者も、自分のことをまわり回って支えてくれてるんだと思います。

たまにはこういうベタなことを言ってみましたけど。



虚構にしかできない。
仮想の現実だからこそ、これだけの恥ずかしいベタな魅力が見いだせたり、感じられたりするんでしょうね。ブログなんてほんとどうでもいいですよ。アホっぽいですよね、何言ってるんでしょうかねw

村上春樹の『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』に現れていた、不思議な《連帯》が「小説外の言葉」に言い換えられた瞬間に、気恥ずかしさを伴うのとちょっと似ていて。
「もう会うことがない仲間達が、自分たちに直接の責任がない大切な友達の「死」について、責任を分かち持ち、共に引き受けることを選んだ」とかって言うには言えるんだけど。

まぁ、100円ですから。悪いことは言いません、だまされたと思って買って読んでくださいよ。

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