2013年2月7日木曜日

コンテンツ生成環境と雑誌文化

創作の表現環境、消費環境とかについて、ちょっとある人と話してた。

何から考えたことや喋ったことをメモしてみる


>3つの場から


作り手:コンテンツを商品と捉えるほどに、要素の組み合わせをするだけの存在に近づく。要素とパターンの組み合わせで出来た、設定とキャラクター、世界観の上でのシミュレーションの問題になる。このシミュレーション感は、さっくり「物語消費」の図で理解する方がわかりやすそう。
どこからともなく拾ってきた画像(物語消費)

編集?:邪推すれば(いや邪推しなくても、そういう所多少はあるだろうけど)、要素とパターンの組み合わせの問題であると捉えられるなら、書き手は「出来上がった人」(谷川流でも、支倉凍砂でもいいけど)以外の場合は、誰が書いても困らない。使い捨てカイロ感ある。
不況の時は、どんな企業でも、人材を腰据えて育成したり、囲ったりできないもんだし。




受け手:意識的に読まない限り、作家に付くより、要素・パターンに付く。例えば、ある友人は読書好きだが、SFに偏る。ある友人は、流行のラノベしか読まない。


※当然ながら、あずまんの『動物化するポストモダン』(Kindle版もあった)の、データベース消費を念頭に置いてる。キャラの要素(素直クール、猫耳とか)、物語のパターン(異能バトル、学園もの、水着回とか)そういう感じに、分割され、蓄積され、参照され、消費され、更新され、また蓄積され、分割され、組み合わされて……。

※大塚英志の新著『物語消費論改』(アスキー新書)はどうなのだろうか。面白いという話も聞くが、大塚好きの人だったし、目新しい論点・面白い論点があったかどうかについては、特別何も聞いていない(ということは多分、そうなんだろう。多分)。ちなみに、西島大介さんの『定本・物語消費論』(大塚英志)の表紙は結構好き。


実際、こんな見立てくらい、何年か前、それこそ『動ポモ』くらいから言われてたよね。。。。
あるパターンが受けた時にそれが群がって試される様は、イノベーションと追従の関係を小さい範囲で見ているような思い。
これにぴったりくる用語を知っている。経済用語である雁行形態論、一つ下の水準で同じことをしている。

雁行形態型発展とか言ったり、雁行的~という使い方もする。
日本人の赤松要が命名したのだけど、私は、現代の「近代システム論」の極北であるジョバンニ・アリギの本でも見た。彼のような人も使うくらいだから、経済系では分野を問わず流通しているみたい。(というのも、近代システム論はマルクス主義の影響が強い。)
参考までに、松岡正剛の千夜一千冊の、アリギ『長い20世紀』。私が読んだのは、『北京のアダム・スミス』という大著。朝日の書評サイトでは、柄谷行人がこの書評を書いている。(松岡も柄谷も、それほど参考にはならない)


>何に付くか

消費者が着目し、それによって消費行動を行う所のものって色々あり得る。
漫画なら……

作者に付く
要素に付く
雑誌に付く

雑誌という項は特殊だろう。雑誌は、消費者に何を要求するのか。消費者は、雑誌に何を要求するのか。
雑誌と消費者の関係で目立ったものは、捨てられること、全てを読む必要がないこと、元から内容の全てが目的ではないこと。
これは、学者や研究者の、学会誌やジャーナルに対する態度に似ている。この場合は捨てたりしないけど。

『サイバースペースはなぜそうよばれるか』
サイバースペースは、ネットが体現するものとしては……アレだわ。大体こういう議論と考えてもいいと思う。あるいは、セカンドライフよりは、ツイッター・FBでしょ、みたいな議論。
この時空間同期的なスペース概念、これの失効を思い出す。
雑誌も似たようなことになるのかな、とか妄想したり。つまり、雑誌という概念が生活やライフスタイル、欲望に追いついてない。


思えば、雑誌って、単に持ち歩けない。タブレットとかあるし。週や月単位でも読みたいコンテンツはある。けれど、読みたい雑誌はない。



紙の辞書の論法と同じで、設計的に「出会い系」なんだという説得はありそう。
でも、検索やSNSを通じて、十分コンテンツに出会えてる。雑誌では面白いコンテンツに出会えなくなっている。
この感覚は選挙に近い。「私の好みや興味を体現してくれている」と雑誌について信じられなくなっている。そういう感じがする。


雑誌がコンテンツを作っている感じもない。これも、選挙に擬せられると思う。何かというと、アメリカ大統領選挙における「連合」という発想。
大統領選挙の打ち出しているポリシーは、党ごとでカラーを見ようと思っても、大統領選の歴史をちょっと見ればわかるけど、微妙にわかりにくい。共和党が民主党みたいなこと言ったかと思えば、民主党が共和党みたいなこと言ったりすることもある。
これは、どんな支持層がその党を支えているか、ということに支えられている。

町田智浩さんが、2012年の大統領選挙の時に、歴史を振り返ってくれてます。こちらも読めばわかりよいかな。
アメリカの場合、連合単位で動きが決まるから、下から、下から、弱い力がちゃんと働いて押し上げるから、トップがいなくなっても、「俺がやる」「私がやる」って、状況になりやすい……というさっくりとした理解を持ってる。
ちょっとポジティブ過ぎる理解だけれど。

いや、擬せられる…と思ってたけど、それほど似てないな。 まぁ、いいかw もうちょっと考えてみる


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